父親の不倫相手という生き物
離婚の果て
父親の不倫相手はそう多くはありませんでした。
ギャンブラー、サイマー、モラハラを固めて人型にしたような人物だったからです。
おまけに、父親はなぜか私を不倫相手に会わせたがりました。
父親の前ではニコニコする不倫相手も、二人きりになると私を無視したりタバコを吸わせてくるような人たちでした。咽る私をみて大笑いする人も。
そして誰も彼も、決して美人ではなく、定職もなく、太っていて、なぜか必ずペットを飼っていました。大型犬や中型犬などではなく、猫や小型犬といった弱い部類かつ鳥ほどは寂しがらない動物たちばかりでした。
さらに彼女たちはマメでした。甲斐甲斐しく父親の世話をし、愛を告げ、父親のダメな所もすべて受容しようというタイプばかりです。
身奇麗にして定職についてギャンブルやタバコをやめればそこそこいい男性とお付き合いできそうなのにと子供ながらに思いましたが、彼女たちはみな自己評価が低く、私の父親のような人間でも良かったのです。
「カブトムシかあ…」
そうつぶやいたのは、私が保育園児の頃から続いている不倫相手でした。彼女は自分以外にも不倫相手が居ることを知りながらも、父親に尽くしてしまう人でした。
父親は昆虫が大好きでよくカブトムシやクワガタ捕りに興じていましたが、今回は私も彼女も手伝いとして参加する事となったのです。彼女は虫が嫌いでした。
当日、彼女は終始笑顔でした。健気な人です。
そして不倫相手宅に帰宅後、虫の腹を磨くために彼女の歯ブラシは父親に奪われ、腹掃除が終わると彼女は襖の向こうに連れて行かれて犯されました。
彼女は父親が引っ越すたびに後を追って引っ越すほど従順です。今生きていれば40代後半のはず。
しかし、父の死に際には居なかったようです。あんなに必死に求めあっていたのに、なぜその離婚後一緒にならなかったのか?
ホームレスのような父親
離婚してから約3年後、私は1度だけ自らの意思で父親と会わなければならない事がありました。契約は父親、支払いは私だった携帯名義をすべて自分に書き換えたかったのです。
離婚直後は何度か車で追いかけまわされましたが、それ以来だと約2年後の父親の姿です。みすぼらしく、酒と煙草と胃液やらの良くないものが腐った臭いがしていました。
白髪が一本も無かった自慢の髪も年相応です。
顔だけは恵まれていたはずなのに、それすらも見る影さえありません。
そんな父親からの第一声は「女らしくなったな」でした。振る舞いではありません。体の事を指しています。
そういえばこの人は、小学生の頃から私の発育を気にしだしていたなと思い出しました。高校進学させずに中卒で働かせる予定だったからです。
そして、この姿が私が最後に見た父親の姿となりました。
父親は携帯ショップの店員の方にかなり横暴な態度をとりました。店員の方が揃えて顔を歪めているのは耐え難い腐臭のせいもあるな感じました。
もしかするとこの時点で、父親を世話していた不倫相手達がみな逃げていたのかも知れません。相当の愛と受容がなければ、この人と共に生活していくことは困難です。
妻というメンテナンス技師を失った父親は、ポンコツそのものだと認識されたのでしょうか?
だとしたら彼女たちが今まで費やしてきた愛と時間は一体何だったのでしょうか。
父親は常に10も20も年下の相手を捕まえてきました。1人1人の不倫期間は年単位、カブトムシの彼女も10年程になると思います。
彼女たちは幸せになりたいはずなのになぜ遠回りをしてしまうのか。尽くしすぎてしまうのか。
そして育て上げた実がいよいよ自分のもとへ落ちてきたとき、なぜそれを拾わないのか。
敵が死んだら?辛さから逃れるには?
父親など死んでしまえという恨み
幼い頃から虐待されていた私は、父親に対して様々な感情を抱いていました。
死んでしまえと思うこともあれば、友人の父親のように定職について父親業をこなしてほしい…つまり私を子供として愛してほしいとも思っていました。
結果的にそれは叶わず、親が離婚するその時まで私は虐待され続け、母親に引き取られてから一度だけメールで「愛している」と言われましたが、それは寂しさからくるものであり、本心では私のことなど愛していないのだなと確信をもった瞬間でした。
本当はとうに気づいていましたが、15歳だった私にはそれは信じたくないことで、ずっと目をそらしていました。
そして私は社会人となり、父親の孤独死に伴う負債額の支払い請求を受けたことによってその死を知ることとなりました。
高校、大学と一切養育費は支払われず、全て奨学金で通ったため、その間にも父親へ対する恨みはつのり、諦め、また恨みと感情は増幅していきました。
敵が死ねば報われる。父親が死ねば私の心は救われる。
そう呪ってきましたが、結果としては全くそんな事は無かったのです。
父親はあれだけ入れ込んだ愛人にも見捨てられ、死体もしばらく経ってから発見されたそうです。私自身は死体も骨も墓の場所も知りません。調べもしませんでした。
残ったのは、
私は終ぞ自分を愛してくれる父親を持てなかった子
という確定した事実。虚無感。本人は死んだので、もう更正も愛もへったくれも無い、できないのです。死んだらそれでおわりです。
彼には父親を望んではいけなかったのです。
私の中に密かにしまっていた子供心よ、これでもう諦めがついただろう…。
お姉さんを助ける
私は自分の影が大好きでした。朝や夕方に長くスラっと伸びる自分の影は、お姉さんとなった将来の私を連想させてくれたからです。
父親はしばしば、私に頑張らない事、勉強しない事を求めました。
女が勉強などしても下手に知恵がついて可愛げが無くなるだけだと言われ、学習用品をダメにされた事もありました。
しかし私は隠れて勉強をし続けました。すべて“お姉さん”のためです。
保育園児、小学生、中学生…幼女や少女だった時代に常に意識していた事です。
彼女たちはまだ見ぬ“お姉さん”を心の拠り所としていきました。
分割されてゆく自己
将来の自分を“お姉さん”として、自分の延長線上から抜き出した事は先に書きましたが、おそらくこの頃から私には自己分割の癖がついていました。
当時多重人格というものがTVなどでよく特集され、辛い現実から逃避するため…と
字幕が出たときに10歳だった私はこれだ!と思ったのです。
実際多重人格ではないものの、意識的に「今暴力を受けている私は違う私」「勉強する私はお姉さんのための私」「学校へ行く私はただの私」などと分けて考えるようにしました。
その弊害なのか、大人になった今、子供時代の自分にまるで親近感がありません。
明らかに私であるはずなのに、別の人間として捉えてしまいます。
現在、私が日常的に最もよく支配される考えは、
幼女少女だった彼女たちの期待に応えられているか?
彼女たちは満足しているのか?
です。親のようで、スパルタ家庭教師のような、うまく表現できませんが見守られている気さえします。
彼女たちの犠牲の上に、今の私の幸せがあるのです。